今様つれづれ草

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かっぱ会議に多数決はない

火野葦平は日中戦争応召中に「糞尿譚」を発表し芥川賞を受賞、ついで「麦と兵隊」、「土と兵隊」など3部作を上梓し、兵隊作家として高い評価を得ています。彼のエッセイの中に「河童会議」という作品があります。

 

曰く「河童の会議も進行状態は人間の会議と大したちがいはなく、ワヤワヤ、ガヤガヤと、勝手なことを言いあって、にぎやかである。ただ一つ人間の会議とまったくちがうのは、多数決という議決方法がないことだ。話し合いをいくらしても、最後の決をとらなくては、なにもきまらないわけだが、カッパたちは採決をして多数決で物事を決定するような無理はしないというのだった。

 

多数決できまったことには自分が反対していることでも、したがわなければならないというのは不合理であるとともに、自由の束縛であり、精神の拷問だという。

 

同時に、多数の方が正しいという考えかたに根本的な誤りがあり、デモクラシーにはこの点に疑問があるという。

 

十人集まっても、一人の意見が正しい場合があるのに、採決すれば多数決で正しい意見は葬られてしまう。カッパの説によると、すぐれた頭脳と意見を持った者の方が、凡愚な者より段ちがいに数が少ないのだから、ほんとういえば、少数決の方が正しいことになるのである。

 

多数決しか決定方法を持たない人間の会議が、いつもどんな誤りをおかしているかを見れば、明瞭ではないか、とカッパは人間の私を哀れむように見るのであった。

 

私は絶叫と断定とをつねに恐れているが、カッパ会議にはそれがない。とぼけて、間抜けで、馬鹿正直で、ときに滑稽ですらある。しかし、庶民的でえらそうぶったり、物知りぶったりするものはいなかった。

 

ただ、自在に空を飛んで方々を旅行した者が多く、その見聞記や、失敗談、感想などを語りだすと、時間の経つのがわからなくなる。しかし、絶叫したり、断定したり、多数決でシャニムニ、黒白をつけようとしたりなどしないから、ときどき皮肉は飛んでも、喧嘩にはならない。

 

いまは神武以来のデタラメ時代だが、むしゃくしゃしているときに、カッパ会議の案内状が来ると私はひとりでにほころびるのがつねだった。」

 

カッパ会議はさておいて、今日の民主主義の現状をつぶさに見ると、多数決主義が独り歩きして世界を動かしているように見えます。しかもその根底に流れる本音は、権力者、為政者への遠慮や追従にあるようにも思います。人間はカッパ会議の規範を学びなおさなければならないようです。